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ステッパーズ・ストップ

そのほか

2014年


シェフィ・デザイナーズノート


これは何か

ここではシェフィが出来上がるまでの過程を、主にゲームとイラストに注目して書きます。創作の奥義だとか魂の振動数だとかゆったり、変な造語を乱発していますが、頭がおかしい人の痴れ言なので気にしないでください。

ベベ助

人の身で因果の始点を捉えることはできませんが、思い出せる中で区切りがいいのはVorpalsというボードゲームとの出会いです。同人でありながら目覚ましい傑作を作ったことでその名が響き渡り、ボードゲーム好きの友達がホクホク顔で買ってきたのでぼくも触れることとなりました。ぼくは二人以上でやるゲームは苦手なのですが、Vorpalsの常軌を逸したイラストの良さに心を射抜かれました。そして湧いた欲望の処理に困りました。自分がこれに対して何をどうしたいのかが分からなかったからです。それはイラストに向かっているものなので、プレイや所有は、ぼくの欲望を昇華してくれるようには思えませんでした。

なんだか戦いの果てのヘレンでも似たようなことがあったのをあとがきで書きましたが、対処法も似ています。まずは欲望の焦点を探ることにしました。Vorpalsの絵柄はシンプルなのに味わい深いです。ぼくはこのような、シンプルと豊穣の両立を重視します。これらの両立を良しとする尺度、つまりはプレイや観賞や利用のコストに対する豊穣の比をエクセレシオと名づけておきます。イラストに限らず広義のデザインであれば何にでも適用でき、この文中でも何度か言及します。世の中にはシンプルさにあまりこだわらず豊かさを優先する人もいるし、エクセレシオ志向は単にぼくの好みなのですが、多少は普遍性のある尺度であろうとも考えています。そしてVorpalsの絵柄はエクセレシオが高く粒ぞろいなのですが、額の第三眼で直視したところとりわけ輝いているのがある一枚のカードであることが分かりました。

ベヒモス。

[絵]

ベヒ。

[絵]

モス。

[絵]

画像はI was gameさんの許可を得て掲載しております。

[絵]

purificator

ステスト流随心創作術・最秘奥の一つに《要素の純化/purificator》というものがあります。これは無色マナ1点を消費するのですが、対象の良さが、それを構成する少数の要素に還元できるとき、対象をその要素のみで染め上げて再構成することによって、エクセレシオの飛躍的向上を図るというものです。要は「Aがいいなら全部Aにしちゃえばよくね?」という発想です。そんな安直がそうそう通るとは限りませんが、考えてみるだけなら1コストです。Vorpalsを対象にその輝きの核をベヒモスとしてpurificatorを適用するとこうなります。「ベヒモスだけのカードゲームにしたらいいのではないだろうか?」。なるほど幸せになれそうです。大爆笑カレーさんには是非ベヒーモパルスを作って頂きたい。その願いは彼に託すとして、自分は欲望の腑分けを進めます。なんでベヒモスなのか? 答えは「かわいい動物だから」です。すなわちかわいい動物であれば、必ずしもベヒモスである必要はないことが分かります。では一番かわいい動物はなんだろう。豚もいいのですが動物界の中でも最強の「穏やかさ」と「毛の豊かさ」を誇るものは何かと考えると、メエメエ草を食むあの生き物の右に出るものはいないことが分かります。フォルムもシンプル、しかしまさかのツノをたたえたかわいさのトップエクセレシオ。そう。ひつじです。ひつじのカードゲーム。どうでしょう。この発想を自分の魂に照らし合わせてみても、多幸感が期待できそうだと分かります。考えるだけでわくわくします。ではそのゲームにおいて、ひつじをどうしたいか。これも頭で考えず、己の魂に直接問い合わせました。増やしたい。ひつじを増やしたい。なるほど増えたらうれしい。それも等比級数的に。1匹のひつじが100とか1000になる。想像するだけで魂の振動数が跳ね上がります。

この時点ではまだ、システムの具体的アイデアはありません。しかし実現を別段疑うこともなく、まずはカードを作ってから考えることにしました。ぼくのマインドセットにプリントアンドプレイが輸入されるのは三年後の未来であり、当時の技術ではカードは手で作るしかありませんでした。適当に無地カードとペンを買いました。

[絵]

適当な選択ですが当たりでした。たまたま訪れた包装材の店で売っていた無地カードにはキンキラの枠がついていてそれだけで豊か感を出し、ペンはマッキーのサインペンにしたのですがこれまたすぐ乾きますし何より線が太い。線が太いと多少の下手さは誤魔化されるし、絵が無条件に力強くなるので手書きの貧相感が緩和されるんです。いい味が出てモチベーションが高まります。それを買ったぼくはおもむろに、友達の家のコタツでむくむくとひつじの絵を70枚描きました。今のシェフィと同じ[1,3,10,30,100,300,100]の7ランクを、各ランク10枚ずつです。100〜300あたりからかなり雑になりましたが。さあこれで何とかシステムをでっち上げてみよう。でっち上げられませんでした。エクセレシオを出すにはシンプルであるべきなので、数字のひつじカードだけでシステムを考えようとしたのですが良いのが思いつきませんでした。広大なイデア界にはその要件を満たす解がお隠れ遊ばすのかも知れませんが、ぼくは見切りをつけて家に帰りました。

monopowered

風呂で無意識が結論したのかどうかよく覚えてませんが、結局ドミニオンやMTGのような「効果テキスト持ちのカード」を別途導入することにしました。ひつじが増えたり減ったりする処理を、ベースルールではなくカードに託すのです。「効果テキスト持ちのカード」でシステムを作ることにはさまざまなメリットもあります。突如ここで、ステスト流随心創作術・第二の最秘奥《一元化/monopowered》が発動します。これは次元の異なる概念をひとつの概念に包含させてまとめることで、ルールをシンプル化しつつ下位概念間のシナジーやコンフリクトを誘発して、やはりエクセレシオの向上を図るというものです。何を言っているのか分からないと思いますが何を言っているのかと言うと、「複数の異なるものを同じ箱に入れる」ということです。たとえばRPGの魔法を見てみましょう。魔法には敵を殺傷するもの、情報を得るもの、移動を補助するものなどがありますが、すべて魔法として一括りにすることで管理を簡単にし、さらにMPなどを共通のコストにすることで配分の面白さを演出します。それは人選でも荷造りでも同様に広く適用できる概念で、異なるもの同士の存在の接点を設けることです。そしてこれはカード一枚一枚に異なるルールを記述できる「効果テキスト持ちのカード」のシステムでは、特に有用な考え方です。ぼくは半ば習慣化しているmonopowered志向設計を適用し、ひつじが増えるのも減るのも同じ種類のカードとして扱うことにしました。すなわちイベントカードです。手札から選んでカードを使うのはドミニオンやMTGからそのままですがそのままではありません。そのままだと良い効果ばかり選ぶに決まっているからです。そこでマイナスカードも含めてすべてのカードを強制的に使わせるようにしました。あるカードを使っても残りの手札は捨てないようにし、使用コストの概念もなくしたのです。そしてまたドミニオンに倣ってリシャッフルも取り入れました。これはデザイン上の必然ではなくリシャッフルを使わないひつじゲーも可能かも知れないのですが、それだとカードが多くなってしまうのでリシャッフルは入れました。さらにこのリシャッフル自体に対してもmonopoweredを撃ち、《望郷》というカードとしました。他のカードもそれぞれ異なる導入理由を持っています。《産めよ》《統率》はこのゲームになくてはならないカードです。《増やせよ》《地に満ちよ》なんかは《産めよ》と揃えてこのカード名を入れたかった、というのが先行しています。《核》もフレーバーをとても気に入っていて、これを没にするなんて考えられませんでした。

タイトルはあるバンドのTHE RACE OF THOUSAND CAMELSというアルバム名をもじってThe race of thousand sheepsにしました。レースと言ってしまっているので敵ひつじとの競争とし、monopowered理論に基いて敵の増加もイベントカードに含めました。sheepは複数形にしてもsheepなのは後で知りました。という感じで「The race of thousand sheep」、略称Trotsの完成です。このときには印刷や販売など考えておらず、当サイトにルールだけ掲載して完成! でした。それで終わり。

一年ほど経った

一年ほど経ちました。

TrotsからShephyへ

2012年の10月、とあるアナログゲームのゲーム会で、話の流れからTrotsを見せる機会がありました。そのときにとある天意によって冒険企画局の魚蹴さんが同席していたのですが、彼がTrotsの絵を見て「これは商品化してみたい」と言ってくれました。完全に絵を好いてもらえての話で、ルールの説明はほとんどか全くしていなかったと思います。ぼくは飛びついて魚蹴さんや冒険企画局の方々と打診を重ね、話を具体化していきました。その中でもTrotsから何が変わったかについて書きます。

システムについて冒険企画局さんからの指示はほぼ皆無でした。つまりぼくは商品化にあたって自発的にTrotsのゲームデザインを見直しました。まず考えたのが再プレイ性の強化です。Trotsはカード構成が固定で毎回同じようなゲームになるのが勿体ないので、ドミニオンみたいに遊ぶたびにイベントカードのセットが変わるようにすればそれは改善さるると考え、追加のイベントカードを作りました。まずは個々のカードの良し悪しは置いておいてたくさんアイデアを出すのが大事なので、デッキを回転させる《運命の輪》、デッキの上2枚を追放する《サイクロンひつじ》、手札すべてを捨てる《テレポート》など色々なものを作りました。《メテオ》や《暴落》など、従来のTrotsには無かったマイナスカードを作ったのもこのときです。変わったものでは《岩》なんてのも。こうして27枚だったイベントカードは45枚ほどになり、そこから毎回ランダムに選んだ25枚セットで1ゲームするという形にし、これをTrots製品版のプロトタイプとしました。アイデア帳には「ひつじ1.1」というタイトルで記録してあります。

[絵]

[絵]

[絵] 《でかい》は効果が思いつきませでした。

イベントカードが増えて展開が多様になれば、その分だけゲームも面白くなるはずです。なる訳ありません。まずバランスが取れない。45枚にはいいカードも悪いカードもあり、全くのランダムだとこれらの混入量によって楽勝になったりクリア不能になったりしてしまいます。また、《統率》や《望郷》のような必須カードがセットから漏れれば目も当てられません。そこで、25枚セットの選び方に工夫を入れます。《統率》や《望郷》のような必須カードは必ずセットに入れる。あとは残りを良いカードと悪いカードに分けて、それぞれから決まった枚数をランダムにセットに入れます。これでセット全体のカードの良し悪しが統一されてうまくいくはずです。いきませんでした。面倒くさい。ゲームを始めるたびにカードを分割してシャッフルを繰り返すのはエクセレシオ激減です。追加したカードの効果も、《テレポート》や《サイクロン》ひつじなど強力過ぎたり運依存が酷かったりしてゲームを壊してしまうものが多々ありました。

プロトタイプを作った。プレイを試した。問題点が生じた。さて、それからするべきことはなんでしょう。そう。改善です。ここでぼくは考察を重ね、いくつかの大きな変更を行いました。

まずは敗北条件の見直しです。Trotsは敵の増加がカードを使う手数を制限しますが、逆に敵さえ追放してしまえばその手数制限に過剰な余裕が与えられてしまうという問題があります。手数制限は重要な敗北条件の一つであり、そういったものをもカードとして扱ってコントロールの対象にするのがmonopowered志向で狙った面白さではありました。ですが強すぎる選択によってゲームが壊れてしまえば元も子もありません。また《望郷》というカードにリシャッフルを担わせたことも弊害が大きく、使うタイミングによってやはり手数制限が大幅に変わってしまうし、あるいは何かの拍子に追放してしまったら即座に詰む危険もあります。ぼくはここでmonopoweredに依存しすぎた思考を反省し、《望郷》と《敵》をイベントカードから取り除いてラウンドを3周固定にしました。この処置はプレイの選択肢を狭めてしまうことになります。しかしながら手数というキーリソースを固定にすることによって、バランス調整が大幅にやりやすくなるので、トータルとしては得な取り引きでしょう。せっかくなのでここから一般論的な教訓も引き出しておくと、キーリソースの安易なコントロールはバランス崩壊を招く恐れがある、ということです。たとえばRPGならばHPです。ドラゴンクエスト3というゲームのRTA(Real Time Attack。早解き競争)を見てみると、安価に大量購入できる薬草がチート級の活躍をしています。薬草はチートアイテム。というか回復がチート。というのはまあふざけ過ぎた言い方ですし、別に回復があってもいいんですが、回復をなくす、あるいは制限する前提でシステムを考えてみると景色がガラリと変わるので、ゲームデザインや思考実験が好きな方にはお勧めです。そんなわけでTrotsにおけるキーリソースたる手数を3ラウンドという形で固定にしました。その表現方法は試行錯誤し、最初は《敵》4枚をカウンターにして使っていました。

[絵]

[絵]

もう一つやった大きな変更が、イベントカードセットの固定です。つまり元の形に戻しました。セットを毎回変えることによってもたらされるメリットとデメリットを勘案し、念入りに調整された最強に面白いセット一つを作った方がいいと結論しました。理由はいっぱいあります。面倒くさくない。バランス調整がとてもしやすい。カードが少なくて済む。面倒くさくない。プレイヤー同士で体験が似るので話題を共有しやすい。面倒くさくない。面倒くさくないから初回プレイも比較的スムーズになる。初回プレイのしやすさは重要です。ゲームの始まりが面倒臭いとルールを理解する前にすぐやめてしまうようなプレイヤーは多いと思われますし、何よりぼく自身が面倒なスタートに耐えられない人間なので、とても重視しています。さてこの頃には45枚ほどに増えていたイベントカードの中から、最強にプレイしやすくて面白いセットを選びださなければなりません。熟慮した結果、これはひつじを増やし、また減少に耐えるゲームなので、ひつじが増減するカードに絞るべきだということが分かりました。それ以外は、ゲームを面白くするごく少数の補助的カードに留めます。その結果できたのが、以下のような構成です。アイデア帳には「Trots1.2」として記録されているセットです。

Trots 1.2 (全74枚)
ひつじ [1,3,10,30,100,300,100] ×7 49枚
敵(250) 4枚
イベント 21枚
ひつじ+ 9枚
産めよ(2) / 増やせよ(1) / 地に満ちよ(1) / 統率(2) / 繁栄(1) / 黄金の蹄(2)
ひつじ− 8枚
落石(1) / 落雷(1) / 狼(1) / 津波(1) / メテオ(1) / 疫病(1) / 過密(1) / 暴落(1)
補助 4枚
牧羊犬(1) / ファイヤーひつじ(1) / 万能ひつじ(1) / 霊感(1)

この時点で現在製品となっているシェフィにかなり近い構成になっていることが分かります。《津波》というのはひつじ2枚を捨てるマイナスカードなのですが、色々あって《嵐》に改名しました。変更は他にもあります。ドミニオンにおける圧縮メカニズムのようにラウンドごとに有害または不要なカードが減っていくのは気分がいいので、使いきりだった《ファイヤーひつじ》を再利用可能な《対策ひつじ》にしました。「ファイヤーひつじ」の方がナイスフレーバーかつ分かりやすい気もしますが、対策という言葉が万能かつ最強じみてて格好いいと思っているぼくの趣味によって対策ひつじにしました。さらにリシャッフルはこの時点ではまだドミニオン式に「山札が尽きたら」やるものだったのですが「山札も手札も尽きたら」するように変更しました。これで《牧羊犬》や《対策》での回避を除いて、1ラウンドごとにすべてのカードがきちんと使われるようになります。また、「ひつじカードを7枚捨てる」という大袈裟なカードも入れました。名前は《巨神兵》⇒《ユミール》⇒《シェフィオン》と変遷しています。巨神兵はパクリだし、ユミールという名前も神話からの引用が無意味にアピールされるのでオリジナルの名前にしました。

[絵] ドオオオオオオン

《シェフィオン》は《対策ひつじ》または《牧羊犬》での処理を強制するので、これらのカードの用途は一回分制限されてしまいます。そうしてプレイヤーの選択の幅が狭くなってしまうのは分かっていたのですが、それでもあえて入れました。ゲームとしての面白さを損なってでも、というか損なってしまうほどの例外が一つくらいはあった方が、ゲーム性に限定されない作品としての豊かさが上がると思ったからです。こういう、あえて原則を破って愚行を為すことをぼくは「瑕を入れる」とか「黒魔術」とか呼んで正当化します。ステスト流随心創作術の裏技に相当するとも言われますが定かではなく、後世の研究が待たれます。

そんなこんなして、このゲームもかなりの完成度になったと感ぜられました。

もう完成でいいだろう。よくありませんでした。ある程度バランスがとれたものが出来ると、いつもいつも「もうこれ以上変えるべきところは無いだろう」と思うのですが、テストをしつこく繰り返していると実際はそうでないことが分かったりします。たとえばこの時点で《黄金の蹄》は2枚もあります。このカードは《繁栄》と相互補完するように動くんですが、《繁栄》が1枚しかないために腐りがちです。だから《黄金の蹄》を減らし、代わりに同じひつじを増やすのでもより使用法に融通の効く《産めよ》を1枚増やしました。

もう完成でいいだろう。よくありませんでした。洗練が進むにつれてテストプレイの範囲を自分⇒身内⇒身外、と広げていくのはゲーム制作では広く知られた手順だろうと思います。ぼくも他の人にやってもらいました。そのとき受けた指摘が《狼》のランダム性がうざい、ということです。確かにその通りです。ランダムにも良いものと悪いものがありますが、《狼》のそれはプレイヤーにはどうしようもない運否天賦を強いることから悪いランダム性なんですね。《狼》を使うたびにひつじカードを混ぜるのも面倒だったりします。ということでその効果を「最大のカード1枚のランクを下げる」に変更しました。

もう完成でいいだろう。よくありませんでした。《敵》はひつじの増加に合わせて1⇒10⇒100⇒1000にした方が自然だし、そもそも1枚にまとめてしまえるというのもだいぶ考察を重ねた後で気付きました。

ゲーム制作ではよく言われることですが、テストはたくさん繰り返した方がいいです。百回もやれば研ぎ澄まされ、千回もやればシステムが発光し始め、一万回もやれば轟きと共に海が割れます。シェフィはそんなにやってませんが。

というあたりでシステム面での改善は収束とし、現在のシェフィと同じものになりました。敵ひつじカードが1枚になった時点で、ちょうどカードの総数が72枚になり、12だか18だかの倍数で印刷もしやすくなりました。ラッキーでした。

冒険企画局さんとよく話し合ったのは、絵を誰が描くかについてでした。販売の要ですし、ぼくの絵は一部の人には好かれるんですが下手糞だし、他のプロの人に頼むという案も挙がったのですが、ぼく自身が描きたかったという希望と、魚蹴さんとしてももともとぼくの絵を見て出版したいと思ったのもあって、結局ぼくが描くことになりました。

ぼくとしては、特に1ひつじなんかはTrotsの時の、マッキーで描いた太い線の絵柄が気に入っていてそれをそのまま使ってもいいかと思ってたんですが、コピックの3mmのやつで描く細い線のもありかと迷っていました。細い線の絵も試しに数枚描いて魚蹴さんに見せたところ、最初に描いたその3ひつじが会心の出来だったのもあって、細い方がいいということになり、結局ぼくは全部の絵を描き直すことになりました。

[絵]

線画だけとは言え、72枚もあるのでぼくにはウヒーという作業量だったのですが、出来る限りいいものにもしたかったので頑張りました。その日の調子や描こうとする絵によって絵柄が毎度変わったりするので、自分で納得いくまで何度も描き直す羽目になって大変でした。特に看板となる1ひつじなんかは、1枚だけで50回くらい描きなおしたものもあった覚えがあります。ちょっとした比率や位置のずれが、絵の印象を大きく変えるのだということをよく実感しました。あともう一つ分かったのは、多少納得いかなくてもとにかく一度全部を描くことを優先すべきということです。なんか気に食わないからと言って序盤で描きなおしを繰り返してるとなかなか進まない上に作業が無限に続く印象がしてうんざりしてしまうのですが、一度すべて描いてから、最も気に入らないものから優先順位をつけて描き直すと、有限の時間で効率よく全体のクオリティを上げられるし気も楽です。たとえば一枚目のクオリティが6だったとして、それが10点満点とか9点になるまで次に進まず頑張るよりも、まずすべてを描いて、それらのクオリティが6、7、3、9、4、だったら3の絵から修正するのが効率的であることが分かります。これはもっと一般的にも適用できることで、ゲームでも文章でも一度プロトタイプなり最後までのアウトラインをいち早く作りあげてしまえば、同様のメリットを享受できるのだと思います。このデザイナーズノートも、まずは一気に書き上げて草稿を作ってから、後で画像を足したり推敲したりしています。

他にもシェフィの商品化にあたって、ゲームマーケットでの試遊などいろいろと地道な作業があった気がしますが端折ります。タイトル案も「めめめめ」とか「ひつじぶやし」とかあったんですがShephyというのを考えてそれにしました。それだと読めない人がいるのでカタカナでフリガナをつけるとは言われたんですが、いつの間にかシェフィという方が正式タイトルになってました。まあ別にいいかと思いました。あとドイツに行きました。

アナログゲーム業界にはあまり詳しくないのですが、なかなか売れている方なのだそうです。原因は、冒険企画局さんの強力なバックアップは前提として、商品としてはゲーム性よりも絵が売れ行きに大きく貢献したのではないかと思います。これまで書いたようにゲームとしても色々と体重をかけて良いものを作ったと思っているのですが、仮にゲーム部分がお粗末だったら売れ行きは具体的にどのくらい変わったのだろうかと気になります。自分が良いと思ってないものを売ってもしょうがないので、ゲーム部分が粗末でも売れればいいやとか考えてる訳ではないのですが、単に好奇心として。セーブして試せればいいんですけどね。ビジュアルって基本的に裏切らないんですよね。絵の良し悪しは買う前でも確実に分かる。ところが内容の良さはルールを何らかの手段で知るか試遊までしないと分からないので、どうしても見た目に流れてしまう。かく言うぼくも、アナログゲームはイラスト買いの傾向が強いです。美に逆らえない。操られ人形館さんのマジョリティなどは見てて正気ではいられません。では一体、我々は何を買っているのだろう? というのを世には不思議のことありけりと思っています。もちろん、みんながみんなそうではないんでしょうけど。

[絵] シェフィモス

ソリティア

あとソリティアというのもニッチを衝いていたのかも知れません。アナログゲームの集まりでテストプレイを頼んだときには一人用というところに何度か驚かれました。ニッチを狙ったのではなく自分の欲望に沿った選択です。その欲望があまりにも共感不能なものでなければ、市場にもうあればそこに投じれば良し、無ければ市場を拓けば良しなのではないかと思っています。

総括

ベヒモスの衝撃からシェフィ完成まで、開発全体を見渡すと、柔軟から厳格へと遷移していることが分かります。最初はブレインストーミングじみたふわふわした妄想から始めて、だんだんと固めていき、最後に無駄を落としたり悪いところをなおしたりして洗練するんですね。なんだか鉄を焼き鈍すのに似ていますね。これも一般に通用する手法だと思います。創作技法の本やコラムなんかを読むと、スピリチュアルなやつだと良し悪しを考える批判精神がやる気を削いでスランプを引き起こす最大の敵だからそれを捨てて、あと瞑想したり生活を改善したりといったアプローチがいいとあって、一方でプラグマティックな感じのやつだと何が良くて何が悪いかがはっきり書かれていて、人の評価を拝聴して謙虚かつ冷静に受け止めるというようなアプローチがいいとあったりしますが、これらは優劣ではないし好みの違いですらなく、工程段階の違いなんではないかと考えています。大きく分けて前半の発想フェイズと後半の洗練フェイズがあって、それぞれ使う脳や方法論は全く違うのではないか。だから発想段階で良いものを作ろうとか考えたりこういうのは良いとか悪いとか考えるとスランプに陥ってしまうんじゃないかと。仮説ですけどね。で、それでいくと序盤はなるべく何にも囚われずに自由に考えた方が良さそうですが、その時であってもはっきり一つだけ全力で意識するといいと思うのがベヒモスです。つまり自分の欲望ですね。金で解決されない欲望を追求すると必然的にまだないものに行き着くので、結果としてオリジナリティも出ることになるんじゃないかと思います。現状への不満を発想の種として利用できるわけです。反対に、終盤で大事なのは徹底的な評価、しつこいテストと洞察でしょう。

Trotsは出版を目的に作ったわけではないので、出版に恵まれたのは幸運でした。自分の選択だけではどうにもならない偶然です。ここから教訓を抽出して何かを再現できるとすれば、色んなことをしてるとたまに自分の内外で事象が連鎖して思わぬ何かに繋がるということじゃないかと思います。とりわけ出会いにおいて。

[絵]