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ステッパーズ・ストップ

そのほか

2012年


システム使い・ヒドゥン


システム使い・ヒドゥン



「ね、ちょっとちょっと。柏木くん」

 学校の授業が終わり、下駄箱で上履きを靴に履き換えようとしたときに、新井琴子が喋りかけてきた。

「なに?」

 周りにはあまり生徒はいない。おれを含める部活のない連中は、みんなとっくに下校したのだろう。おれは、教師に呼びつけられてさっきまで職員室にいたため、他の奴らよりも少しだけ帰るタイミングが遅くなっていた。

 おれがここに来たとき、新井琴子は下駄箱の側で鞄を持って棒立ちしていた。だれかを待ってるのだろうと思っておれはその前を通り過ぎたが、彼女が待っていたその相手は俺だった。

 二学期の半ば。夏休みの余韻は夢みたいにきれいさっぱり消え去り、クラス内では互いの大抵のことは知り合って、頻繁につるむ友達もとっくに決まっている時期。これと言って女子とも交流のなかったおれは、新井がこうして喋りかけてきたことに面食らっていた。

「あのさ……今日、これから、暇?」

 彼女はおれのスケジュールを確認してきた。おれの時間を借りて何かしたい、ということなのだろう。それは何か? 誰でもぱっと思いつくのは2通りの用事だ。一方ならうれしい。他方なら大変うれしくない。

「んー」

 おれは新井の顔を見た。美醜の判定に自信はないのだが、これは可愛い方だろうか。少なくとも髪はよく手入れがされている。これは誰もが認めるだろう。背は低め、体重はやや重めか。この辺も、主観の入る余地はあまりないから、判断に自信はあった。

 この女にもし告白されたならうれしいだろうか? うれしい。クラスメートの話だと、女に告白されることは金星がつくようなもので、めでたいことらしい。なぜめでたいのかは分からないが、みんながそう思っているなら少なくとも自慢にはなる。新井がおれに告白をしてくるのなら、おれは時間を貸すのにやぶさかではなかった。

 だが、そうじゃない可能性もある。

「用事による。おれは家に帰って勉強をする用事があるから、それよりくだらないことだったら暇はない」
「そんなことじゃわざわざ話しかけないよ。ちょっとさ、一緒に来てほしいの。ちょっと」

 新井の物言いは曖昧だった。怪しいと見るべきなのかどうか分からない。単に照れていて歯切れが悪くなっているだけとも見える。

「ちょっとじゃ分かんねえよ。なんだ、ハンバーガー屋とかで話を聞けばいいか?」
「いや、そんな場所じゃだめだよ! もっとこう……人目がない、静かなところがいいの」
「お前な……」

 おれは新井の要求にあきれた。用事が告白であってもそうでなくても間抜けすぎる。気が利かないとはこのことだ。

「そんなこと言って実は罠かも知れないだろ。殺されるかも知れない危険があるのに、ほいほいついていける訳がない」
「え? 柏木くん……わたしのこと疑ってるの? わたし、そんなことしないよ! ひどいよ柏木くん!」

 新井は両手で鞄をぎゅっとにぎって抗議してくる。だが、その言い分に正当性はなかった。こいつ少し頭悪いんじゃないのか。

「おれはお前のことなんて知らないから、信じる理由がないんだよ。ここんとこ起こってるうちの生徒の殺人事件、全部……使われてるだろ。女子だからってそれが出来ない理由はないし、基本、誰も信じられないだろうが」
「わたしはちがうもん!」

 新井が激怒して距離を詰めてきたから――おれは同時に、さりげなく後退した。あまり近すぎると不意打ちに対応できない。そう言えばこの下駄箱もそろそろ、人目が減ってきている。まさかとは思うが、仮に新井が悪者だったとして、いきなりこんな場所では襲ってこないとも確信できなかった。

「だから、人目のある場所なら話を聞くって」
「そんなの嫌!」
「じゃあさ、せめて保険をかけさせてくれよ。どこかに行くんなら、まずおれが、新井と二人でどこそこに行ってくるって伝えておいて、おれが生還しなかったら……」
「人には言わないでっ!」
「近づくなって」

 靴を持ったままおれは後退し続ける。おれの下駄箱がどんどん遠ざかる。

「メールじゃだめなのか?」
「嫌よ……それだと証拠が残っちゃうから」
「なあ、ますますお前が怖いんだけど」
「だから、そういうんじゃないって! 分っかんない人ねもう!」
「とりあえず離れてくんない? おれ靴履きたいし」
「面倒くさいわね、もう!」

 新井はおれの言ってることを無視して、すっと右手を上げてきた。その手のひらは――照準は、ぴたりとおれに合っている。

「てめえ!? やんのか!?」

 おれは上履きのまま、さらに後ろに下がって下駄箱の板敷きから降りた。新井の手を凝視する。いつでも反応できるように。腰を落とす。いつでも横に飛べるように。同時に、イメージする。いつでもそれを出せるように。

「違うって言ってんのに、なんで信じてくれないのかしらね!」
「いまめちゃめちゃ撃とうとしてんじゃねか!」
「柏木くんがまともに取り合ってくれないからでしょ!?」
「お前の要求が無茶すぎるんだよ!」

 おれがそう言ったところで、新井の反論はなくなった。おれを掴もうとしているようにも見える手つきで、突き出されたその手は動かない。おれが気を抜くのを待っているようにも見えた。対しておれは新井が悪者であるという確信も持てないから、自分から仕掛けることはしない。おれにとって不利な膠着状態が続く。

 四秒、五秒。

 傍目にはただ突っ立ってるだけの、間抜けなにらみ合いが続く。おれはひたすら、おれの周囲を守り固めることだけをイメージしていた。新井のイメージは、どこまで広がっているだろうか。発動さえさせなければ、すべては頭の中だけのこと。

「馬鹿ね。防げやしないわよ」

 その嘲笑を裏付けるかのように、新井は攻撃してきやがった。おれは凍り付いた。見えない。いや、攻撃を可視化させるメリットはないから、目に見えないのは普通のことだ。しかしそれだけじゃない。おれはまったく反応できなかった。俺の背後で、ぴしりと音がした。

「!?」
「後ろを見てみなよ。不意打ちなんてしないから」

 おれは愚かにも、新井の言われるままに、音のした背後を振り返った。急所を晒すがごとき愚行だが、幸いにも新井は攻撃してこなかった。そしておれは、ガラス戸がひび割れているのを見た。攻撃は俺の顔面のすぐ横を通過したのだ。おれに知覚させる暇もないほどの刹那に。

 冷や汗が出た。

「外れたんじゃないよ? 外してあげたの。速さには自信があってね、わたし。威力はしょっぱいけど攻撃なんて当たりゃあ相手を殺せるんだから、この速さがどれほどのアドバンテージか分かるよね? これからは不穏な空気を感じたら、さっさと壁なり結界なりを出しておくのね。見てから反応しようなんて、格好つけないでね!」

 新井の言うことはまったく正論だと、おれは頷かざるを得なかった。そして彼女はもう手を下げている。攻撃を続けるつもりはないようだった。

「殺すつもりならいま、簡単にできちゃうんだよ? わたし。それをしないってことは、つまりわたしは悪者じゃないってことになるよね。納得してくれるよね?」
「いや、おれを殺せても、人目があるから殺さないのかも知れないじゃんか」
「まーだそんなこと言って! いっぺん怪我しないと分かんないのかなあ? ねえ?」

 新井がまた手をあげ、攻撃の気配を放ってくる。おれの顔の左右を、三〜四発の衝撃が通り過ぎていった。たたたん、と後ろのガラス戸が音を立てた。

「わ、わかった、わかったからやめてくれよ!」

 おれは慌てて話を譲る。どうやら新井は、おれが思っていたよりも遙かに短気な女であるようだった。



 結局、近くの公園に引っ立てられた。ほとんど暴力を背景にした脅しだ。新井は周りきょろきょろ見渡して、人がいないのを念入りに確かめると、おれを自分と一緒のベンチに座らせて、本題を切り出してきた。

「好き。付き合って」

 えらく単刀直入な告白だった。さっきの攻撃そっくりだ。そのことを茶化すと、新井は不愉快そうに目を細めた。

「だってさー、柏木くんが変なところでごねるんだもん。前置きとか口説き文句とか考えてたけど、もう忘れちゃったし思い出すのも面倒くさいよ」

 告白さえできれば、相手にどう思われようとどうでもいいのだろうか。おれは返事をする前に、新井が怒るかも知れないことを承知で、おれが一番気になっていることを訊いた。

「これ、さ。断ったらおれ殺されちゃったりする訳?」
「なに言ってんの、そこまでわたしも強引じゃないよ! そんなんで付き合ってもらったって嬉しくないし」
「いやだって強引にこんなところに連れてこられたし」
「信じてもらえないのが腹立ったの! ぐちゃぐちゃ……言わないでよもう」

 そう言うと、新井はさっきまでの勢いを途端に失ってうなだれた。あ、泣いてる。おれはうろたえた。今度は精神面から攻撃してくるのかよ。これだから女って奴は!

「ああ、いいよいいよ。付き合うから」
「あにそれ! 仕方ないみたいに!」

 いや実際仕方ないだろ。涙まで見せられたら気が咎めるよ。

「そんなことないって。なんだかんだ言って、新井に告白されてうれしかったし」

 これは嘘じゃない。

「……本当?」
「本当だって。ほら」
「きゃっ!」

 おれは新井の肩を抱き寄せてホイとキスをしようとした。が、速攻で突き出してきた新井の手に顔を押し退けられてしまう。この女、本当に反射が抜群だ。

「……おい?」
「ごめん、ついびっくりして反射的に拒んじゃった……うん、嫌じゃないんだよ」

 そう言って、おれをの顔を押していたその手がすべり、そのままおれの頭を抱えて新井のそばまで引き寄せられる。

 接触。

 その感触に大して感慨はなかった。ただおれは、これで社会生活上押さえておかなければならない義務を果たしたと思った。モテないとかホモとか、とにかく奇異の目で見られる心配が減った。

「えへ」

 なにが言いたいのか、新井がやたら楽しさを主張した笑顔を見せてきたところで――

「!」

 おれはものすごく不吉な予感を覚え、そう感じるや否や速攻で結界を張った。半径3メートルほどの、球面状の不可視の壁。新井ごと包んで、攻撃の驚異から身を守る。

 数秒後、何者かが放ってきた攻撃が、三十発ほど連発されておれの結界を叩いた。結界は強度が足りていたらしく、すべてを四方八方に弾き返した。攻撃のいくつかは地面に落ち、派手に土をえぐる。攻撃の方向から、襲撃者を見つけることができた。遠くてよく分からないが、男だ。

「防御、一瞬だけ説いて」

 おれが言われたとおりに結界を一瞬だけ解除すると、その瞬間を縫って新井が襲撃者に反撃を放った。それは相変わらずもの凄い速度で相手に迫ったが、いかんせん距離が開いていた。襲撃者の男は新井の攻撃を後出しであっさり防御すると、奇襲の失敗を悟って公園の外に走って逃げていった。

「逃げる気!? 許さないわよ!」
「いや追うなよ!」

 走りだそうとした新井を、おれは慌てて捕まえる。

「なんで止めるの? 赤の他人にいきなり攻撃するなんて尋常じゃない。あいつがきっと殺人事件の犯人よ? とっ捕まえて殺すか警察に突き出してやらないと……」
「殺すなよ! ってーか、深追いするなって! あっぶねーだろうが」
「だからもう、柏木くんはなんでそう臆病なのよ!? 逃げるってことはこっちより弱いってことなんだから、構わずぶっちめてやればいいのよ!」
「お前、血の気多いなあ……あのな、こっちが追っかけるってことは、やりあう場所は相手に好きに選ばせてあげるってことなんだぞ? いつまた奇襲されるか分からんし、地形によっては相手の方が有利かも知れない。って言うか、まずそうなるって考えるべきだ。それに、そんな危険なこと、おれ、お前にして欲しくないよ。頼むからもう少し自分の身を案じてくれよ」

 おれが新井のことを心配しているという方向で説得すると、興奮していた新井もおとなしく折れてくれた。

「まあ、柏木くんがそう言ってくれるなら、そうするけど。でもさ、わたし、普段これ使う機会ってあんまないから、ちょっと欲求不満になっちゃってるんだよね」
「また怖ぇこと言い始めたな」
「怖くないよ! 柏木くんだって使えるんでしょ? 使えるってことは、自分が戦闘のある環境に適応してるってことなんだよ? 牙が生えてきたのに狩りをしませんってのは、不自然なことだと思うよ。ほら、行こ」

 鞄を肩にかけた新井に促され、おれは彼女と一緒に下校する。



おわり