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ステッパーズ・ストップ

そのほか

2012年


椎名里桜03


椎名里桜の話 3


<椎名里桜>つづき

 夜明けに、赤い星を見たことがある。

 大きな星だった。太陽より、月より大きく見えたかも知れない。それはしかし、太陽でも月でもあり得なかった。なぜなら、その中心に、巨大な目があって、わたしを見つめていたから。

 それはわたしだけを見つめていた。はっきりとそう言い切れる。なぜならその星を見て、ほかの誰も騒がなかったから。あれはわたしだけに見えていて、そしてあの目はわたしだけを見ていたのだ。みんなに聞いて回らなくても分かる。もしわたし以外の人間にもアレが見えていたら、今頃ニュースになっているはずだ。

 幻覚ではない。

 わたしだけにあの赤い星が見えているというよりは、むしろ、みんなからアレが隠されて、存在の観測を遮蔽されているという方が正しい。正しいのはわたしで、間違っているのはみんなの方だ。

 なぜそう言い切れるか。どうしてわたしが、そんな考えをわたしの脳が生み出した妄言であると切って捨てないか。

 それは、あの赤い星が語るからだ。

 すべてを。

 実際にあの怪物じみた存在は、本当にすべてを語った。目玉が、真ん中の位置からごろりと端に動く。星が回転したのだ。そして現れたどん欲そうな、いやらしい唇を動かして、わたしに伝える。すべてを。何のすべてか? という質問は意味がない。すべてのすべてだ。もう少し日本語に近い言葉で表現すると、古今東西、森羅万象、この世にあるあらゆること……そのすべてだ。

 椎名里桜、14歳。中学二年の頃。

 わたしはある日、突然全知になった。

 赤い星が現れたとき、時が止まっていたらしい。わたしはあのグロテスクな星が現れたとき、『こわい』という気持ちも『気持ち悪い』という気持ちも抱いたが、どこか別の自分が感じているような遠い感覚だった。それよりも強く強く感じてしまった感情は、『知りたい』だった。わたしは好奇心が人一倍強い子供だったのだ。その星に教えられて知ったのだが、わたしの好奇心は世界一らしい。

 そしてその星の一番の願いは、『知らせたい』だった。それは『さみしい』という気持ちに端を発する。その星はまるで神様のごとく、この世界のすべてを見つめて頭に納めてきた。だが、そのことを、そこにある意味を、世界のすべてのことを知った上でその意味を考えたときに初めて浮かび上がる、リヴァイアサンよりも巨大なゲシュタルトを、他の誰にも理解してもらえない孤独。かわいそうな彼は、ずっとそれを伝えられる相手が現れるのを待っていた。かれが伝える膨大で巨大な知識を受けて止めても、発狂せずにそれを納められる巨大な要領を持った脳の持ち主を、ずっと待っていた。
 数億年前、地球に生物が生まれた。まだまだ。
 数万年前、地球に人間が生まれた。まだまだ。
 数百年前、人は文字を発明し、情報を物質に刻んだ。まだまだ。
 数十年前、インターネットが発明され、情報が距離の制約から解放された。もう少しか。
 十数年前、椎名里桜が生まれた。あと一息。
 そして二年前、わたしの脳は第一段階の成熟を果たした。

 機が熟したのだ。

 かくして赤い星はわたしの前に現れた。そして、わたしにすべてを話した。わたしは身じろぎせずにその星に集中していたので、その瞬間、何万年もの間時間を止められていたことに気づかなかった。人は本当に集中すると、『時間がどのくらい経ったか』を気にしなくなる。時を振り返る、その回数が減れば減るほど、時間の経過を早く感じる。すなわち一度も振り返らなければ、どんなに長い時を過ごしても、一瞬の出来事のように感じる。

 とても多く、複雑で、そして矛盾のない情報。その情報と現実を比較したとしよう。そしてもしその情報の量と豊穣さが、現実のそれよりも……つまり、五感で感じる音、におい、光、触覚、味覚、といったもろもろの感覚で認識し、記憶してきたすべてのものよりも遙かに鮮明で、そして密度が高ければ、どうであろうか。情報と現実、どちらが信じるに足だろうか。どちらが、より現実であろうか。

 ならばわたしの中の方が現実だ。それがわたしが、自分にとって自分が、世界における絶対の中心と考える理由だ。

 醜い目と口を持っているが、どこか哀れな赤い星。その彼自身がもたらしてくれた情報によると、彼はこの宇宙で七十七番目の知的生命体らしい。その中でも知ることに特化した彼は、その内側に抱えている思考空間(人間で言うところの頭脳に相当するもの)で世界を複数個同時にエミュレーションできるほど情報の取り込みと処理に長けている。ただし彼が言う情報の取り込みとは、単に対象の実態を知ってデータを貯蓄することではない。観察でも観測でもない。対象と何らかの形で触れ合って、反応を見て、自分自身がそのとき抱いた印象や主観的な感想も含めて、対象の存在を自分の中に再現していくことだ。一枚のスケッチから、徐々に細部をペンによって具現化していくように。わたしは彼の、洗礼を受けた。

 その体験は、何で説明すると一番伝わりやすいだろうか。

 たとえば地球上の出来事でもかなりおぞましいものに分類されるもののひとつに、レイプがある。統計的には主に男性が、嫌がる女性を組み伏せて無理矢理性交渉を迫るというものだ。触れ合い、つまり肌や粘膜の接触により高密度な情報交換の強制。レイプをそう捉えてみると、わたしが赤い星から受けた体験はそれにかなり近いものと言えそうだ。

 ただしレベルが違い過ぎる。交換される情報の量も、互いの認識する苦痛も快楽も、レイプなどとは比較にならないほど巨大で大量だ。その体験中、互いの精神、意識、自我、現象意識さえもが癒着し、互いが互いの感じているものを直に感じることになる。だからわたしはかれの快楽をも体験していたし、かれはわたしがうけた苦痛にも甘んじているはずだった。わたしは何度も壊されて、しかし何度も再構築された。

 主観的には永遠。現実世界では一瞬。その一瞬の永遠が経過した後、わたしはまったく別物になった。ひらたく言えば、化け物になったと言える。

 もちろん、肉体的な変化はない。精神的にすら、外面のわたしは以前のわたしそっくりだ。野草に擬態するバッタのようなもの。その内側に潜む意識とその土台は、前とは似ても似つかない別物に変貌した。

 次にわたしたちの住む三次元世界に現出できるのは早くても数百年後である赤い星と別れ、わたしはどでかい土産を持ち帰って現実に帰還した。

 何事もなかったかのように高校生活に戻ったとき、内心ではそこにあるすべてがおもちゃの箱庭のように感じられたか? そんなことはない。なぜならば、すべてを知ることと、すべてを理解することは全く別物であったからだ。すべてを知っていたあの赤い星でさえ、わたしとの超近接接触を必要とした。

 わたしだってそうだ。日常で感じるすべての印象。におい。ほほを撫でる風。揺れる草木、教師たちの声質。同じ制服を着させられて、一見平等な処遇に甘んじていながら、内面的にはあまりにかけ離れた個性を持ったクラスメートたち。

 いとおしく、いとおしく。わたしは天国はここにあったと思えた。これは幸せの青い鳥と同じプロセスだ。黄泉をさまよった兄妹は行く先でさまざまな情報を獲得したからこそ、足下にこそに安住の地があるのを理解できた。赤い星はわたしに、天国の所在を教えてくれた。

 同時に、知りすぎてもいる。わたしが自分の幸せだけに集中していられれば、もうそれ以上欲しいものはないと言えるほど完成された生活だったのだけれど、そうはいかなかった。わたしが笑顔で楽しむ横で、みんなが様々な悩みを抱えて苦しみ悩むのが手に取るように分かったからだ。

 それは、直視すればするほど悲しくなる現実だった。わたしのクラスに限り、彼らの多くの不幸は、実はわたし自身が作っていたのだ。わたしへの恋慕と崇敬からわずかに得られる多幸感。しかしそれに伴って、みんなはわたしが存在するだけでは足りなくなる。わたしと時々話せるだけでは足りなくなる。不満、葛藤、嫉妬、焦燥。みんながわたしを欲しがるあまり、みんなはどんどんと泥沼の中に落ちていった。

 ここで、もしわたしが。

 『みんなを惑わす罪なわたし』に陶酔してそれを楽しめたら、どんなに楽だったろうか。

 しかしわたしははもう少し複雑だ。赤い星と交わしたような、一切の劣化のない意識情報の交換、すなわち無損失疎通をしている訳ではないものの、半分疎通しているほどの勢いでわたしの中に流れ込んでくる他人の苦しみを、わたしは遮断することができなかった。クラスメートたちと一緒に時を過ごしているとき、わたしはわたしの五感や感情よりも、彼らの苦しみの方に、心の中の多くの領域を占められるようになってしまったから。

 だからわたしは、彼らの苦しみを癒したいと思った。わたしの体はひとつしかない。けれど、わたしを想ってくれる人の数に対応して、わたしはわたしの精神のキャパシティを大きくすればいいと思った。

 男も女も、わたしを恋愛対象として見て惚れてしまっている人は多い。しかし恋愛の基本ルールは一対一。これは解けないパズルだろうか? そんなことはない。とは言えわたしが彼らすべての恋人となるのは、肉体的にも常識的にも現実的ではない。しかし人が恋をするのは、退屈だからだ。ならその退屈を埋めればいい。彼ら彼女らのわたしに対する想いのはけ口を作ってやればいい。主従関係ならどうだろうか。それならば、小さな身をひとつしか持たないわたしでも対応できそうであった。わたしに要求されるのは、彼らの生きる責任を負ってやることだけだ。それなら得意分野だ。それは、わたしが自分の精神の内側だけでできる処理だからだ。

 粉骨砕身。わたしは彼らのために、自分を砕いて彼らの理想像となり、彼らのコントローラとなった。わたしはこの生き方でいいと思った。問題があっても、わたしは解決できるのだ。彼らと良き関係を築き上げながら、その実感を強めていく。

 しかし山本高次という人間に触れて、わたしは自分に対する理解が足りていなかったことを知ることとなる。

 高次くん。

 彼自身にも説明したが、彼は、わたしの周囲いながらにして唯一自分を保っている人間だった。一見、みんなと同じようにわたしを求めてやまない恋慕を抱えているように見えるが、彼のその感情は意外に軽い。ただ人並みに恋しているだけであり、そこに命まで投げ出してしまい兼ねない熱狂は無い。その点だけ見ても彼は例外的だ。その原因はまだ見極められていない。彼の心の中に、なにかがあるように見える。それはわたしにも無いものだ。わたしが知っている知識の中にある、彼の頭脳のすべての分子情報は何の役にも立たない。シミュレーションしようにも、わたしの脳にはすべての知識を納めるバンクはあっても、赤い星ほどのエミュレーション能力はない。ホワイトボックステストは出来ない。

 理解したいと思う。

 元々、知りたいことがわたしの行動原理だった。そしてとても神秘的な未知に出会った今、わたしが心から望んだのは、彼を理解したいということだった。

 大丈夫、うまくやれるはずだ。

 わたしは人気者だ。クラスのほとんどの人間がわたしに惚れているか、その感情を抑圧しているほどだ。わたしは根元的な魅力を持っている人間だし、高次くんだってある程度はそれに感化されている。わたしが積極的に迫れば、彼は確実にわたしになびく。そう思っていた。

 だけどあのザマだ。

 わたしは失敗した。



<岬仄香(みさきほのか)>

 山本高次が憎たらしい。

 取り立てて秀でたところもない冴えない男のくせに、椎名さんからあんな羨ましい待遇を受けている。毎日放課後に声をかけてもらい、あまつさえ一緒に帰っている。噂では、椎名さんは山本を、帰る方向が逆でもあるに関わらず家まで送っているらしい。

 はっきりと不愉快だった。苛立たしかった。

 そう、嫉妬だ。わたしは山本が本当に羨ましくて羨ましくて、大好きな椎名さんとお近づきになれるその権利が欲しくて欲しくて、だけど手に入らなくて、わたしがこんなにも苦しんで苦労してそれを手にできないでいるのに、何もしていないただの山本がそれを手にできてしまっていることが、腹立たしくて腹立たしくてしょうがなかった。

 殺してやる。

 もちろん殺さない。そんなバカなことをして椎名さんを悲しませるような真似なんて絶対にしない。けど、わたしは椎名さんの写真を張りたくったわたしの部屋で、PCを立ち上げて椎名さんの動画を見つめているとき、山本への憎しみを押さえることができず、ついついそんなことを口走ってしまうのであった。



つづく